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橋本の香(旧三桝楼)のステンドグラス [ステンドグラス]

 

八幡市の橋本遊郭の中にある建物です。最近、リノベーションして、旅館として営業しています。
見学をしてきました。この2軒となりには、多津美旅館があります。
まずは、2階の内部窓とランマにステンドグラスがあります。ガラスの種類は、色ガラスと無色の型ガラスで構成されています。
色ガラスは、型ガラスで色つきのもの、単なる色ガラス、乳白ガラスなど多彩な種類で作られています。また、無色の型ガラスも
数種類の型模様を使っています。
この建物の竣工が昭和10年頃(1935)ということなので、ひょっとして、ダイヤ、石目は国産の可能性はありますが、
その他のガラスは、色ガラスをふくめて、型ガラスは舶来ということになります。
かなり未見の型模様が見られました。
1階の出窓にも、同じようなデザインのステンドグラスがあります。これも2階と同様、さまざまな型模様のガラスをつかっています。
ここは、中庭に面しているのですが、型模様の凸凹は外部にはめています。
まずは2階から、

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2階客室窓

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2階ランマ

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1階出窓

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型模様

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美香茶楼(旧第二友栄楼)玄関

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日本近代の板ガラスから立花大正民家園へ [硝子]

日本の板ガラスの製造は、実質的には明治42年(1909)旭硝子によって初めて市場にでました。それまでは、欧州からの輸入に頼っていました。
そのため、板ガラスの輸入は外貨を圧迫し、国家的が問題となっており、国産品の製造が渇望されていました。
やっと、製造された板ガラスは、手吹き円筒法でした。しかし、外国では、ラバースによって、明治38年(1905)に機械吹き円筒法が開発されていました。

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旭硝子は、その新技術を大正3年(1914)に北九州戸畑の牧山工場に導入し、生産を開始しました。

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その後、新しく設立した日米板硝子は、大正5年(1916)に開発されたコルバーン法をいち早く導入し、大正9年(1928))には、生産を開始したのです。

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コルバーン法


このような、急激な発展は、大正3年(1914)第一次世界大戦によって欧州での板ガラス生産がストップしたことによります。
数年後、欧州で生産が復興する頃には、日本の板ガラス生産は、アジアに輸出するまでに発展していました。
旭硝子は、昭和3年(1928)には、フルコール法を導入し、生産力を増強していったのです。

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さて、このような日本において板ガラスの普及状況を見て、明治以降、戦前の建物に嵌まっている板ガラスを見てみると、
その板ガラスがどのような方法で作られていたのかがわかると、その建物の歴史や建築年代がわかるようになるのです。
もっとも、板ガラスは割れ物ですので、煩雑に入れ替えがあります。また、建物の改修で、取り替えられることも考慮にいれなければなりません。
そこで、板ガラスの製造法を目視によって、判定できないかと考えてきました。数多くの近代の建物に嵌まっている板ガラスを観察していくと、
ある程度の判断がつくようになりました。
たとえば、手吹き円筒法の板ガラスは、不規則なゆがみ、多数の泡、また、斜めに入った線がはいるのが特徴です。

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手吹き円筒法のガラス



機械吹き円筒法になると、不規則なゆがみとともに、長く延びた泡が目立ちます。

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機械吹き円筒法のガラス



コルバーン法、フルコール法では、規則的なゆがみ、つまり、板ガラスが柔らかいときにロールにはさんでのばすので、平行なゆがみがでます。
また、泡は延びることはありません。

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コルバーン法あるいはフルコール法のガラス

これをふまえて、立花大正民家園(旧小山家住宅)に嵌まっている板ガラスをみてみることにしましょう。この建物は大正6(1917)に建てられています。

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その後、一部の改修があったようですが、建具とガラスは、ほぼ創建当初のもののようです。管理人の老人に聞くと、5~6枚くらい在庫があったようですが、
管理人はこの家の親戚で、小さい頃から出入りしていたようで、子供がガラスを割ったこともあって在庫のガラスで補修はおこなわれていたようです。
まず、入側縁南の硝子戸には、長く延びた泡が散見されます。また、不規則なゆがみも確認できます。ということから、機械吹き円筒法による板ガラスと判定できます。

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入側縁南の硝子戸

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まさに、この建物の創建時とみることができます。
便所のスリガラスには、長く延びた泡がありますが、その泡の中は透明になっています。つまり、スリの加工はサンドブラストではなく文字通り擦って作ったことがわかります。

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スリガラスの泡 擦ったため泡が削れている


浴室には、型ガラスが2種類と結霜ガラスがはまっています。この型ガラスの模様は、国産ではなく、舶来とおもわれます。
結霜ガラスはその他の建具にも嵌まっていますが、日本では、結霜ガラスの技法は、もう明治初期には確立されていたようで、電球の傘に使われていました。

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大々的には、旭硝子、日本板硝子が板ガラスの生産を始めて間もなく作られていたようです。しかし、その後昭和に入って、型ガラスの生産がはじまると、
急激に縮小していったようです。

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結霜ガラス(上下)


室内の引き戸には、いわゆる紐抜加工をしたガラスがほとんどの建具に嵌まっています。この加工法は、紙をガラス前面に貼り、模様を切り抜いた後、

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子持ち木爪

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木爪組紐

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中消し子持ち木爪

サンドブラストによって、ガラスをけづり、消し加工をほどこすものです。
従って、ガラスの大きさによって、模様の位置がきまりますので、すべて、ガラスの現寸に合わせた個別加工になりますので、
大変手間のかかるガラスになります。

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サンドブラスト機


数十年前までは、その加工を専門にやる業者がいましたが、もう、探すのに苦労するほどに少なくなっています。
その加工屋の出している見本帳によると、それぞれに名前がついています。

まだまだ、調べなくてはならないことがありますが、この建物は大正時代のものとはいえ、機械吹き円筒法のガラスの使用例としては注目に値します。
というのは、この機械吹き円筒法はもう、その設備が途絶えていますし、その技術もありません。今でも細々と行われている手吹き円筒法やフルコール法とは違って、
設備がないため復元できません。これしかないということです。


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厚木市古民家岸邸の板硝子調査報告 [硝子]

2011年12月25日付けのブログにも掲載していますが、今回あらためて訪れてみました。
古民家岸邸(https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-de8c.html)
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新しく写真を撮り直すとともに、どんなガラスが嵌まっているのかもう少しくわしく見ていこうとおもいます。

まずは、模様入りケシガラスの種類について見てみましょう。
蜀江文は、1階広間の内障子や、引き戸などに嵌まっていました。また、土間の色硝子の嵌まった窓にもありました。
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1階広間内障子 蜀江文
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1階土間ランマ 蜀江文

菊菱と一応名付けておきますが、1階の次の間の内障子と便所の窓にあります。
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1階広間次野間 菊菱文(仮称)
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1階便所 菊菱文(仮称)

また2階の内障子には東側の和室と西側の和室には菊菱、中の和室には大小菊菱文と名付けたガラスがあります。
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2階和室内障子 菊菱文(仮称)
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2階和室内障子 大小菊菱文(仮称)
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いわゆる紐抜が2種類、子持ち木爪と楕円抜き、と便所の窓に山を切り抜いた模様、そしてボカシも何カ所ありました。
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1階障子 子持ち木爪

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1階障子 楕円抜き

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1階便所 山型

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1階引き戸 ぼかし
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2階廊下引き戸 ぼかし

結霜ガラスも、1階では便所の窓、廊下の窓などに使われていますが、特に2階西側の赤色ガラスとの市松模様のガラスに多用されています。
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1階便所引き戸 結霜

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1階便所窓 結霜

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1階廊下引き戸 透明硝子と結霜硝子の市松

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1階廊下ランマ 赤色硝子 スウィトピー 結霜硝子

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2階女中部屋入り口 結霜


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2階西側窓 結霜硝子と赤色硝子の市松

 

加工ガラスはその他にスリガラスがあるぐらいでしょうか。

色ガラスは、1階土間のランマに黄色が2枚、青が1枚、緑が2枚はまっています。赤の色ガラスは、1階では便所、廊下のランマにあります。
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1階土間ランマ 黄、青、緑の色ガラス

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1階便所窓 赤色ガラス

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1階廊下ランマ 赤色ガラス

2階は女中部屋と、洋室の引き違い戸の上部に赤色ガラスがあります。
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2階女中部屋ランマ 赤色ガラス


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2階洋室引き戸上部 赤色ガラス


2階では、西側の窓に赤色ガラスと結霜ガラスが市松に嵌められています。
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型硝子は、2階廊下の下部の引き違い戸はほとんどが結霜ガラスですが、おそらく補修して代わりに嵌めた型硝子が3種類ありました。
それは、「つづれ」日本板硝子製 1988年、「しげり」旭硝子製 1964年、「スウィートピー」日本板硝子製 1970年のようです。
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2階廊下 補修ガラス 「つづれ」

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2階廊下 補修ガラス「しげり」


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2階廊下 補修ガラス「スウィートピー」


また、洋間のドアに嵌まっているガラスは、おそらく舶来の型でしょう。いくつか見た記憶がありますが、名前、生産地は不明です。
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透明ガラスは、平行に波打つガラスが見えないこと、細くのびた泡が見られること、不規則なゆがみがあることなどを勘案すると、ラバース法(機械吹き円筒法)による製品とおもわれます。
手吹き円筒法のような、斜めに筋が入るガラスが見られないこと、泡の入り方が少ないことと、ほぼ細長く入っていることから、手吹き円筒法ではないとおもわれます。
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母屋は明治24年(1891)に建てられていますが、その後、明治35年(1902)に母屋東側部分を、大正12年(1923)から昭和初期に母屋西側部分を増築しています。
ということから考えると、模様入りケシガラスなど、さらに透明硝子もおそらく、関東大震災後の改修時に入れ替えた可能性があります。その頃ならば、日本板硝子がコルバーン法で、板硝子は製作されていましたが、旭硝子はまだ、ラバース法で製造していたからです。
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もちろん、色ガラスは舶来品でしょうが、よく見ると、この色ガラスには、ほとんど泡もゆがみも見られないのです。製品としては、かなり進歩したものようです。
それぞれのガラスは、建物の増改築などの機会に部分的に代えられたのでしょうが、おおむね、大正から昭和初期のガラスが数多く嵌まっているようです。
特に、模様入りケシガラスでは、蜀江文、菊菱、大小菊菱の加工技術がすばらしく、相当練度の上がった製品のようにみえます。
それにしても、これだけ戦前の板硝子が種類豊富に残されているのは、賞賛に値します。
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蔵の宿 の色板硝子と模様入り板硝子 [硝子]

蔵の宿 の色板硝子と模様入り板硝子

  少し暖かくなってきたので、桜が咲く前に出かけてきました。今回は、一応、宿にはなっていますが、個人の邸宅です。

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しかも、元県会議員をしていた人の家で、20数代続く名家でした。敷地内の建物は築200年の母屋、築180年の蔵が2棟、そして明治期の洋館です。数年前に、母屋と蔵の1棟の改装工事をして、外観も一部変更し、内部は、できるだけ変更しないようにしながら、使い勝手のいいように改修をほどこしているようでした。
さて、その母屋の建物の内部に、色板硝子と模様入り板硝子がはまっていました。家主のご老婦の話によると、元は便所の窓硝子に使われていた硝子だったようで、それを、玄関の内側の入り口の欄間と、座敷と座敷の間の障子の欄間、そして、廊下の突き当たりのはめ殺し窓に移して新しい建具に嵌めたとのことです。
ですから、もともと、色板硝子が市松模様に配置されたのは、つい最近の改修時のことのようです。
それでは、まず、玄関内部入り口欄間の硝子から、

色板硝子は、紫、緑、赤、黄、青 の5色、模様入り板硝子は、格子状と花と葉の模様の2種類。

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座敷の欄間は、色板硝子はなく、模様入り板硝子が斜め格子状と縦横の線を入れた模様の2種類が主ですが、1枚だけシンプルな斜め格子が1枚ありました。

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そして、廊下突き当たりのはめ殺し窓は、欄間に3枚横に入った窓とその下に縦4段横3列のはめ殺し窓があります。
上の欄間の中央には花模様の板硝子があります。下の段は、青、黄、赤、緑、紫の5種の色板硝子、模様入り板硝子は斜め格子1種類です。

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硝子を詳細に見てみると、細かな泡のある硝子や、かなり大きな泡も散見されました。どうもこれは、手吹き円筒法による板硝子のようです。とすると、おそらく、この板硝子は、大正時代にまでさかのぼる可能性があります。
いづれにしても、これらの模様入り板硝子の模様は、今まで見たことのないものでした。最近、手に入れた見本帳(おそらく戦後すぐのもの)を見ても同じ図柄がありません。この模様を作った業者はいったいどこにいるのでしょうか。いまだにわかりません。
それにしても、色板硝子と模様入り板硝子を使った民家の例がまたひとつ増えました。まだまだ、発見することができるかもしれません。
大変貴重な硝子であることを、是非、ご理解していただきたいとおもいます。


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鎌倉彫刻資料集 [仏像]

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このところ、旅にも行けず、自宅時間が増えて、やることがたくさんあるのに、なかなか手がつけられなくて、無為な時間を過ごしてきましたが、やっと、一つまとめることができました。
『鎌倉彫刻資料集 造像銘記編(稿本)(1301年~1333年)です。なれないpdfファイルにも挑戦して、なんとか変換ができました。
プリントして、綴じれば、一応、本の体裁になります。

ダウンロード - e98e8ce58089e5bdabe588bbe8b387e69699e99b86e980a0e5838fe98a98e8a898e7b7a828e7a8bfe69cac291301e5b9b4efbd9e1333e5b9b4.pdf

 


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旧石川組製糸西洋館ステンドグラス修復完了報告会 [ステンドグラス]

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 今日(25日)、最悪の想定通りの結果になりました。この報告会は、ステンドグラス修復実施者である(株)松本ステンドグラス製作所の松本一郎氏の報告会が主でした。
松本氏には、事前にこの修復についての疑問点を投げかけて、それに対して、丁寧な回答をいただいていたので、すべて、納得したわけではありませんが、松本氏の修復の具体的な方法は、よく承知できました。これは、当日その疑問をぶつけても、あまりにも複雑な事柄なので、その手間をはぶくためでした。
 さて、松本氏には答えられない発注者の意向は、当日でなければ聞くことができないので、手ぐすね引いて、質問の時間を今か今かと待っていると、冒頭、司会者が質問はなし。あとは個別にということで、ガッカリ。それで、会が終了した後、入間市博物館の発注者(館長さんだったか、副館長だったか不明)とおぼしき人に、質問を投げかけました。

自分:   この向かって左の2枚のパネルが何で入れ替わったのですか?これは、確かな証拠があって入れ替えたのですか?
発注者:  いや、証拠はありません。
自分:   では、これは修復のうえに現状変更までしたのですか?
発注者:  現状変更といえばそうですけど・・・
自分:   登録文化財の現状変更は、文化財保護法第六十四条に、“現状変更する場合は、三十日前までに文部科学省令で定めるところにより、文化庁長官にその旨届けなければならない。”と書いてあります。当然、文化庁に現状変更の届けをしたのですね。
発注者:  この建物は、建造物として、登録文化財に指定してあります。建物の現状変更は外観の四分の一までなら、変更が許されています。
自分:   このステンドグラスは、登録文化財ではないんですか?
発注者:  ステンドグラスは、登録文化財にはいっていません。
自分:   え!え!

自宅にもどって、もう一度文化財保護法を読み直してみると、登録文化財は、2004年の改正により、建造物だけではなく、美術工芸品も登録文化財に登録できるようになりました。

平成八年文部省令第二十九号 登録有形文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
 第一条 文化財保護法第五十七条の文化財登録原簿には、次に掲げる事項を記載するものとする。
   六 登録有形文化財が建造物以外のものであるときは、その寸法、重量、材質その他の特徴

と、建造物以外でも登録できるのです。さらに問題なのは、朝日新聞文化財団から、助成金を受け取る際の、名称は
 “国登録・旧石川組製糸西洋館ステンドグラス(埼玉 入間市教育委員会)” として、2019年に選定した文化財保護活動への助成のリストに掲載されています。
https://www.asahizaidan.or.jp/grant/grant04_2019.html

そして、完了報告会のパンフレットには、【総事業費】 1,622,500円(うち助成金1,430,000円)と書かれています。
ということは、ステンドグラスも登録文化財であることは、申請者の入間市教育委員会が承知の上で申請書に記入したことになります。
さらに、文部省令第十四条には、法第六十四条第一項の規定による現状変更の届出は、次に掲げる事項を記載した書面をもって行うものとする。
  八 現状変更を必要とする理由
  九 現状変更の内容及び実施の方法
  十一 登録有形文化財が建造物以外のものである場合においては、現状変更のために所在の場所を変更するときは、変更後の所在の場所並びに現状変更の終了後復すべき所在の場所及びその時期

第十五条 前条の届出の書面には、次に掲げる書類、図面及び写真を青江なければならない。
  一 現状変更の設計仕様書及び設計図
  二 現状変更をしようとする箇所の写真及び見取図

発注者の言葉の端々から、つぎのことが推測できました。
まず、このステンドグラスは、建物に付随しているものだから、個別に登録するという発想がなかった。
しかし、助成金をうけとるには、登録文化財にしておけば、とおりやすいと考えた。ステンドグラスのパネルを入れ替えることは、現状変更にあたるという発想もなかった。なぜなら、登録文化財(建造物)は外観の四分の一まで、内装は現状変更にはあたらないことから、ステンドグラスの変更も、内装物だし、まして、外観の変更でもない、と考えたのでしょう。だから、言葉をにごしていますが、文化庁にコンタクトをとったという言動の形跡がありません。
建物に付随している内部の窓は、不動産ではなく、動産です。これは登録文化財の想定外で盲点だったのでしょう。しかし、2004年の改正で、建造物以外にも登録できるようになったので、これを有効に使えば、その矛盾は解消できたはずです。それをしなくて、あいまいにしたことが問題だったのです。
もう一度いいますが、助成金申請の名称には、“国登録文化財旧石川組西洋館ステンドグラス” と発注者自ら書いていたはずです。
だったら、速やかにステンドグラスを登録文化財に申請し、文化庁に現状変更の届出をすべきです。そうしないと法律違反の状態が続くことになります。

もうひとつ
自分:   この右端の花は”菊”ですか? あなた菊に見えますか?
発注者:   このステンドグラスは“四君子”を表しています。
自分:   だから、あなたは、これを菊だとおもいますか?
発注者:  ・・・・・・・・
自分:   菊はこんな花びらをつけるのですか?菊は赤い実をつけるの?この葉は菊の葉ですか?
自分:   大体、四君子というけれど、単に他の3つの花を参照しただけでしょ。どこが四君子なのですか?
発注者:   T先生(某有名大御所ステンドグラス研究家・今回の修復のアドバイザー)がそうおっしゃっていたので・・・・

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注: 四君子 について解説

望月大漢和辞典によると
>〔四君子〕唐畫で氣品を君子に見立てた四つの植物。蘭・菊・梅・竹

となっています。
さらに
夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 2017年9月30日 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/19131/1/kyouyoronshu_526_5.pdf
この中で、東洋画の画題としての「四君子」という見出しで、「蘭、竹、梅、菊」の4種がどのような過程で「四君子」と呼ばれるようになったのか論じています。
そのまとめには
>“日本国における「四君子」の用例の典拠またはその起源は、必ずしも明確ではない。日本国には遅くとも安永年間頃までには画題として「蘭、竹、梅、菊」を重視する考え方が導入されたと推定される。しかし、それを「四君子」と総称する語の用法は、明治以降に確立された可能性が高い。

さらにネットで検索していると、四君子には根拠のある順序が存在するか というサイトを見つけました。 http://www9.plala.or.jp/majan/his47.html
それによると、麻雀牌に入っている花牌を見ると、「春夏秋冬」との対応が「蘭竹菊梅」の順になっているのだそうです。ところが、台湾では昔から”梅蘭菊竹”の順で呼称されているとのこと。先述の大漢和の用例で、『集雅譜』では”蘭菊梅竹四譜”とあり、『竹堂四君子畫譜』には”文房清供 獨取梅竹蘭菊四君者無也とある。
結論
>そこでつらつら考えるに(^ー^;昔の中国では梅蘭竹菊という4種の植物が重要なのであって、”春夏秋冬という季節を代表する植物”というわけではなかったと想われ、そこで好みによってさまざまな順番で呼称さていたが、語呂のよさで梅蘭竹菊が主流となった。やがて麻雀の花牌としてナンバリングが必要となったとき、もっとも人口に膾炙さていた”梅蘭竹菊”が採用された、と推測する次第。

これでおわかりになったでしょう。なぜ左の2枚の”蘭・梅”が左右入れ替わったのか、右端の花が”菊”でなければならなかったのか。このステンドグラスの画題はどうしても「四君子」にしたかったのです。だから、季節の移り変わりの順番にしたかったのです。しかし左半分の2枚を左右入れ替えても順番は 冬(梅)→春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)となってしまいます。一応季節の移り変わりと合致します。しかし、どうして大方の日本人が発想する春夏秋冬として春(蘭)→夏(竹)→秋(菊)→冬(梅)にしなかったのでしょうか?そこまで、大胆にやる度胸がなかったのかもしれません。というよりも、四君子を表現するのに決まった順番などない、というのが史料を調査した結論です。
もし、四君子の花に明確な順番があるのなら、その根拠を示した上で、左右入れ替えるべきでしょう。それよりも、根拠なく平気でパネルを入れ替えるなんて考えられないことです。これは、製作者に対する冒涜です。

この四君子を題材にしたステンドグラスは、国内に3例あると、例の修復アドバイザーの大御所はここが売りなんだと強調しています。
ひとつは、鹿児島の岩元邸、ふたつめは、鎌倉の松本烝治邸です。そして、3例目がこの旧石川組西洋館のステンドグラスだというのです。
これを強調して、アドバイスされたら、このステンドグラスは四君子を題材とした物だと信ずるか、普通の役人なら忖度するしかないのでしょう。以前書いたハダカの王様の家来になったのでしょう。ちゃんとした博物館員なら、その根拠を問いただすとか、これが本当に菊なのか、ご自分の目を信じればわかるはずです。そして、その博物館員が書いたこのステンドグラスの、修復前の説明と、修復後の説明、そして、報告会のチラシの文章を見てみると、題材に関する説明が徐々に変わっているのがわかります。およそ理屈にあわない大きなご意向にそった変遷のように見えます。

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左から 修復前の説明  修復後の説明  報告会の説明

もうひとつの現状変更について

今回の報告会で、松本氏から報告された事実は

1 パネルを建具にはめ込む方法は、框をはずして組み込む方法だった。しかも二重枘を使ったかなりがっしりした建具だった。
2 蘭とお茶の花と実(これは菊ではありません)のパネルのガラスは他の2枚のパネルと違って、いわゆる裏面を使っていた。
3 各パネルには、縦に通して真鍮のH型ケイムを2本補強のため使用していた。

これが、修復時に知り得た主な技法です。
1 これらの事実から、断言はできないまでも、かなり明白に言えることは、4枚のパネルとも、製作時以後、建具からはずしたとは思えないこと。
建具そのものを交換したのならば、補修痕が残らなくなりますが、その前提がなければ、このパネルは製作時から変更はなかったと考えられます。

2 とすると、なぜ、2枚のパネルが裏だったのか、という疑問です。
松本氏は2つの推測をしています。
>①恐らく竣工当初にステンドグラスを引き渡した先の大工さんが、間違えて入れたのだろう。更に作者も納品後確認に行かなかったのか。
> →建具には押縁はなく、ほぞで組み込まれていたため、大工の組み込みと推測しました。

>②竣工当初は全て表を向いていた。後に改修が行われ、裏表が反転された。
> →一部、ほぞのクサビが欠損しており、ネジ留めされている箇所がありました。一度外された履歴と推測しました。

ガラスの裏と表はどう違うのか、ということを説明すると、非常に専門的な話になってしまうのですが、ステンドグラス用の特にオパールセントグラスの表面の凸凹が多いか少ないかという違いです。
ガラス面を斜めからみて、やっと違いがわかる程度です。凸凹の多い面が、見せる面となります。
それについて、松本氏は
>今まで戦前のステンドグラスで、パネル内で表裏ちぐはぐというのは、ほとんど見かけたことがないため、やはり(当初・補修に関わらず)設置時のミスと判断すべきです。
ということで、今回の修復時に2枚のパネルを反転した。と説明しています。

松本氏の経験にもとづいた正義感は、わかりますが、ミスはミス、それも作品なのです。製作時に作者が確認しなかったとしても、それが、いまでもそのままならば、それが作者の作品なのです。作者の意向もわからないで、修復者の正義感をだされても、それは、修復者として越権行為になります。

松本氏の2枚のパネルの反転について、いままでの職人としての、経験と実績は、十分にリスペクトに値しますが、これは、技術的な実績と経験のみの判断です。しかし、これを実行するにはもっと違う観点からの考察が必要です。いままで裏表ちぐはぐなステンドグラスはなかった、といっていますが、このステンドグラスこそ裏表ちぐはぐの最初の例だったのかもしれません。これは、経験だけで判断することではありません。本来は、発注元の博物館に文化財行政の熟知した人材がいればよかったのですが。

見た目では、左側の2枚のパネルの左右入れ替えと、2枚のパネルの反転をしたことで、この4枚のパネルの題材の位置が変わってしたために、改修前と改修後では、その構図がまるで別作品のようになってしまったのです。美術史的に絵画を見るとき、その構図に注目します。それぞれの花・木のパネルの中での、位置が4枚全体のパネルにどうバランスとしてマッチしているかを見るのです。
その観点からみると、この修復がどの方向を向いてなされたのかが理解できません。修復前の構図を破壊しているのです。
原点にもどると、今回の工事は修復工事です。復原工事ではありません。まして復原工事ならば、たとえば、下図、竣工時の写真、竣工時に書かれた文章など、証拠となる製作時の史料があって、それにもとづいて変更を行わなければなりません。ですから、この変更は、不確定な理屈で、復原工事でもなく、単なる修復と合わせた現状変更工事になってしまったのです。

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ここで、本題にもどります。左側の左右パネル入れ替えと右端の花を菊と強弁した現状変更を、もし、文化庁に報告があがったら、その他の2枚の裏表反転とともに、文化庁はどういう判断をくだすのでしょうか。まあ、同じ役人同士ですから、法律を上手に解釈して、なあなあに済ませるのか、にぎりつぶすのは目に見えています。しかし、修復前の状態と修復後の状態の違いは、確実に事実として残ります。そして、博物館の人は、修理工事報告書を必ず出します、と約束してくれました。さらに、これは公開しますとも。報告書の内容についても、事実をありのままに書くことを断言しました。まあ、都合の悪いことは書かない。いろいろ修辞をつくしてごまかすのは、あらかじめ予想しておいていいかともいますが、修復によって現状が変更されたことは、厳然たる事実で、この報告書がでれば、また追求がはじまります。

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修復前

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修復後

なぜこんなしつこいことをいうのかというと、今までの文化財修復で、修復における及第点が非常に少ないのが気がかりなのです。たとえば、文化財を修復するときに、修復前の状態の詳細を調査するのは当然ですが、修復時にだれが、どの部分をどのように入れ替えたのか、どのように補作したのか、などなど、そのひとつひとつに客観的な作業状況が記述されている報告書でなければなりません。その補修の際、その補修方法について、選択しなければならないことがあるでしょう。その時どちらを選択したのかも報告書に記述しなければなりません。このように、修復は文化財を文字通り修理する作業と、その経過を詳細にかつ客観的に記述する修理工事報告書があって、はじめて、修復工事が完了するのです。そういったことを丁寧に行っている修復工事は数える件数しかありません。ステンドグラスという、文化財とまだ認知されていない分野については、他の文化財に較べてまだまだ経験不足が否めません。もっと習熟度をあげていかなければならないと思うからです。
今回の、当該ステンドグラス修復工事で報告書が公開された以後、おそらく2~30年後に修復の機会があったとき、この修理工事報告書と実物をみて、後世の修復者が何でこんな修復をやったのか理解に苦しむようではいけません。客観的な資料を提供することこそが、今、文化財保護を担当する人の最低限の勤めだとおもいます。数十年後を見据えた修復をしていただきたいとおもいます。文化財行政のさらなる習熟をせつに希望いたします。そうでないと、戦前のステンドグラスの地位向上になりません。


参考文献
・文化財保護法
・登録文化財に係る登録手続及び届出書等に関する規則
・朽津信明「〔報告〕日本における近世以前の修理・修復の歴史について」『保存科学』51 東京文化財研究所 平成21年3月31日
・夏井高人「四君子考」『明治大学教養論集』526 平成29年9月30日

リンク
旧石川組製糸西洋館:春秋堂日録: (ss-blog.jp) 2012年6月9日
旧石川組製糸西洋館(改修後):春秋堂日録: (ss-blog.jp) 2021年3月18日

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旧石川組製糸西洋館(改修後) [ステンドグラス]

 旧石川組製糸西洋館をはじめて訪れたのは、2012年6月でした。いままで見学会は行われていたようですが、2階に上がれる機会に見学を申し込みました。
その頃の西洋館は、入間市の所有になっていたとはいえ、まだ、改修もろくにされていない状態で、2階に上がるのにも人数制限をしていました。要は建物の強度上の問題があっったからでした。
その時、時間制限もあったりして、あわてて写真を撮っていたものですから、写真の設定が変わってしまったのに気がつかず、あとで、画像を再生すると、ずいぶんと失敗したり、肝心のステンドグラスがうまく写っていませんでした。

旧石川組製糸西洋館 https://shunjudo.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-008c.html

今回の訪問は、松本ステンドグラス製作所が、ステンドグラスの修復をしたことをSNSで見つけ、また、建物が修理されて公開がはじまったのを知り、出かけることとしました。
 建物の中に入るなり、さっそく2階の大広間に直行しました。以前見た時は、梅のモチーフのパネルの余白部分にヒビ割れがあって、パネルも少し孕んでいるようでした。

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[改修後]

修復後は、もちろん破損ガラスは入れ替えられていましたが、ガラスの種類の違いがわかるほど、新旧の差がはっきりとしていました。元のガラスと同じものを調達するのは大変困難であることは理解できます。それなりに近いガラスを探し出した努力は評価しますが、これが、現在の修復の限界かとおもいました。

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さらに、気がついたことは、4枚のパネルとも、横にそれぞれ2本ずつ、補強棒を入れたことです。以前のパネルには、補強棒は入れていませんでした。これは、パネルが室内にあって、保存状態がよかったことを考慮しても、自重によるゆがみがでてしまうのでいたしかたないのかもしれません。しかし、この縦長のパネルの補強は、横に補強棒を入れるよりも、縦に2本入れたほうが、補強棒によるゆがみの防止に役立つし、補強棒が目立たないのではないかとおもいました。一方、各パネルとも余白のガラスの面積が大きいため、そこの補強を考えると、横に補強棒を入れざるを得なかったのかもしれません。

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 自宅にもどって、以前に訪れた時の写真を見ると、2点その違いに気がつきました。

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[改修前]

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その1 修復前のパネルは、向かって左から、蘭、梅、竹、お茶の花と実 の配列になっていました。ところが、修復後は、向かって左から、梅、蘭、竹、お茶の花と実 になっていました。つまり、左の2枚のパネルが入れ替わっていたのです。
その2 左側の蘭と、右端のお茶の花と実のパネルが反転していたのです。
これは、一体どういうことでしょうか。修復したのですから、当然、何らかの根拠があって、現状を変更したはずです。説明板には、このパネルのモチーフは四君子を題材にしていると書かれています。四君子でいう 梅は冬、蘭は春、竹は夏、菊は秋 と中国絵画では見なされていて、このパネルでは、菊のかわりに当地のお茶の花と実を表現したと、されています。順番からいうと、冬春夏秋という順になります。四季の順番に合わせて、入れ替えたということなのでしょうか。それとも、この建物の創建当初の資料(写真など)があって、その当時の状態にもどしたというのなら納得できます。これは、その2の蘭とお茶の花と実のパネルの反転とも、関係することですが、現状を変更するには、それなりの根拠をもってすべきであって、あとで、説明できない変更はすべきではないとおもうのですが、しかも、これだけの現状変更をおこなったのであれば、修理工事報告書を作成し、その経緯を公開し、活字に残し、後世の修理時に役立てられるようにしなければなりません。この現状変更が正しかったとか、間違っていたかということは、問題ではないのです。現時点でどういう根拠で現状変更をしたのかを公開し、後世に伝えることが重要なのです。そうすれば、修復時に創作の余地を残さないことになるのです。それが、文化財の修理の基本理念であることを、しっかりと頭にいれてほしいのです。

4月25日に「ステンドグラス修復完了報告会」がおこなわれます。上記の疑問にすべてお答えしていただけるなら、申し込もうかなとおもっています。

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ルイス・C・ティファニーのステンドグラスから [ステンドグラス]

 先日、伊豆城ヶ崎海岸にあるニューヨークランプ&ティファニーミュージアムへ行ってきました。ティファニーランプがおよそ60台、ステンドグラスパネルが11枚が展示されています。

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【ティファニー・ミュージアム入り口】

そのすべてにティファニー工房の刻印があります。その他にもランプやステンドグラスがありましたが、いわゆるティファニー風の作品のようです。日本国内では、島根県松江にルイス・C・ティファニー庭園美術館に数枚のステンドグラスがありましたが、美術館は平成19年(2007年)に閉鎖されてしまいました。その他には、北海道小樽の似鳥美術館の中にルイス・C・ティファニーステンドグラスギャラリーがあって、いくつかのステンドグラスがあるようです。
 今回、伊豆の美術館に展示されていたティファニー工房作と判明しているステンドグラスをすべてお見せいたします。そして、ティファニーのステンドグラス技法の一端でもお伝えできればとおもいます。

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【14オイスター・ベイの風景 朝日】
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【リップルグラス】
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【フラクチャーグラス】

 まず、カタログ番号「14オイスター・ベイの風景 朝日」から、このモチーフはほかにも「04オイスター・ベイの風景 夕陽」と「27オイスター・ベイの風景」があります。いずれも縦横の格子をいれた藤の花と湾の風景を表現しています。藤はティファニーが好んで表現する花のようです。これらのパネルでは、縦横の格子が窓の格子のように見え、また補強棒のようにも見えますが、藤の花が格子の前に現れているところなど、詳細に観察してみると、縦の線は暗黒の色ガラスを鉛線で挟んでいます。おそらく、補強棒は表からわからないように入れているとおもわれます。つまり、この格子は補強棒と思わせて実は違うという操作をしているようですが、一部には表からかなり太い補強棒をいれている部分もあります。じつにうまい技法を駆使しています。

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【04オイスター・ベイの風景 夕陽】

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【補強棒】 

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【27オイスター・ベイの風景】
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【リングモトルグラス】

14のパネルでは、リップルガラス(Ripple glass)やフラクチャーストリーマーガラス(Fracture-Streamer glass)がつかわれています。
27のパネルではリングモトルグラス(Ring mottle glass)が使われています。

藤でいえば、「02藤のある風景」と「08藤とスノーボール」があります。両者ともモットルグラス(Mottle glass)が使われています。

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【02藤のある風景】

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【モトルグラス】

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【08藤とスノーボール】
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【二重】

「20蓮とアイリス」は水辺に浮かぶ睡蓮とアイリスを描き、森の風景を表しています。森の木々にはリングモトルグラス(Ring mottle glass)を多用しています。
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【20蓮とアイリス】
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【リングモトルグラス】

「34滝つぼの風景」も滝の周りの緑の葉にリングモトルグラス(Ring mottle glass)がつかわれています。
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【34滝つぼの風景】
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【リングモトルグラス】

「38風景の窓」は縁をつけ、窓からの景色のようにみせていますが、大きな木のうしろに靄がかかって、遠くの木々や山がかすんでいます。これは、薄い白がはいったストリーキーグラス(Streaky glass)を木々や遠くの山の風景に重ねて、かすんだ風景を表現しています。
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【38風景の窓】
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【ストリーキーグラス 二重】
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【二重】

「43オレンジ色の花と百合」では、タチアオイに似たオレンジ色の花と百合の花を表していますが、背景には青や黄の色ガラスを配したうえで、草を表しています。
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【43オレンジ色の花と百合】
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【二重】


宗教画が2点あります。1点は「39戸を叩くキリスト」です。これは、顔、手は絵付けされていて、上部の木の葉にはフラクチャーグラス(Fracture glass)が使われています。
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【39戸を叩くキリスト】
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【フラクチャーグラス】


もうひとつ「41天使 キャロライン・スコットを偲んで」も顔と手足は絵付けし、衣装には一部ドレープリグラス(Drapry glass)が使われいて、衣の皺の立体感をだしています。
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【41キャロライン・スコットを偲んで】
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【ドレイプリーグラス】

このように、テファニーは、彼のイメージにあったステンドグラス製作のために様々な色板ガラスを製作しているのです。一例をあげれば、

  • オパールセントグラス(Opalescent glass)、数種類の色ガラスを混ぜた不透明な板ガラス。
  • ファブリルグラス(Favrile glass)、一種の光彩を放つ玉虫色のガラス。1894年に特許を取得した。
  • ストリーキーグラス(Streaky glass)、縞模様のあるガラス。
  • ドレープリグラス(Drapery glass)、ひだのある折れ重なった布のようなガラス。
  • ストリーマーグラス(Streamer glass)、糸のような細い模様が表面についたガラス。
  • フラクチャーグラス(Fracture glass)、表面に不規則な形の薄いガラスウエハーの模様が入ったガラス。
  • フラクチャー・ストリーマーグラス(Fracture-Streamer glass)、フラクチャーガラスとストリーマーガラスの両方の模様の入ったガラス。
  • モトルグラス(Mottle glass)、斑点のはいったガラス。
  • リングモトルグラス(Ring mottle glass)、環状斑点のはいったガラス。
  • リップルグラス(Ripple glass)、表面に波紋のあるガラス。
  • コンフェッティグラス(Confetti glass),ブルザイで発売しているガラス名。フラクテャーグラスと同じか。

この11枚のステンドグラスは、オイスター・ベイの風景のパネルで1.4m×1.5m程度のおおきさです。当然、補強棒を入れないとゆがみがでます。しかし、ティファニーはそれを実にうまく気づかれないように処理しています。これは、窓枠にはめ込んでもあくまでも絵画としてのステンドグラスという発想なのでしょう。
まだ詳細に1枚1枚パネルを見ていませんが、片面だけでは、どういうガラスの使い方をしているのかが、解明できませんが、ざっと見回してみると、ガラスを至るところで二重に重ねているのがわかります。また、銅箔を巻いてハンダ付けしているところも数多くみられます。非常に細かなピースをつなぎ合わせ、実に繊細な作業をこなして、奥行きのある絵画表現を実現しているとおもいます。

小川三知は、ほぼ同時代にアメリカに滞在していたので、このようなティファニーの作品を至る所で見たとおもわれます。三知の作品を見ると、宮越邸の丸窓で、ガラスを二重に重ねる技法を使いましたが、これは、明らかにティファニーの表現方法を取り入れています。また、アジサイ・モクレン・ハゼの障子はすべて銅箔を巻くという、これもティファニーの考案した技法を試しているのがわかります。しかし、小川三知は、日本画を学んでいますので、余白のない丸窓では、ティファニーに忠実であっても、格子で区切られたちいさな板をはめ込むという建具では、余白をとりいれるという方法を採用したのでしょう。しかも、ティファニーの「オイスター・ベイの風景」で使われている格子は、藤の花がからんでいるのを見ると、いわゆる窓からすこし離れたところに設置されているようにみえます。それにくらべて、アジサイ・モクレン・ハゼの障子は、木製建具の格子の外にそれらの花木が植わっているようにみえます。見学者にとっては、格子の障子はもともとすべてに透明のガラスがはまっていて、その障子の外に花木があるように錯覚してしまうのです。借景は、外の景色を内と外を隔てるパネルに取り込むことであり、これは、借景とは、全く逆の感覚を作り出しています。

三知のステンドグラスは、アメリカの新しい技術を積極的に取り入れていますが、ティファニーはその財力をつかって、数多くの種類の板ガラスをつくってそれを使用しています。三知は、ティファニーに較べると、採用する板ガラスは格段に少ない種類で製作しています。また、ガラスを二重にする技術は、鳩山邸の五重塔の組物で試してはみたものの、それ以降積極的には使わなかったようです。このように、三知は、技術をティファニーに学びながら、日本では、取捨選択をして独自の表現を模索していったのだろうとおもわれます。


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宮越邸ステンドグラス異聞補遺 [ステンドグラス]

 もう少し、ハゼノキとケヤキの違いについて、調べた結果をご報告します。N君より、谷中の天王寺の前にハゼノキがあるよ とご教示いただきまして、いつも通勤の道ながら、改めてみてきました。ここのハゼノキは、まだ葉すべて落ちていなかったので、葉の形状がよくわかりました。たしかに、奇数羽状複葉で対生です。上野公園には、ケヤキが多く生えているので、葉の形状がまだ残っている木をさがしました。これも植物図鑑のとおり、単葉、不分裂葉、互生であることが確認できました。

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下はハゼノキの葉

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下はケヤキの葉

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 そういえば、今年の春、寛永寺根本中堂の隣の民家の塀ごしに、白い花が咲いていたのをおもいだしました。ひょっとして、ハクモクレンだったのではと思い、撮りためた画像をさがすと、たしかにこれは樹木図鑑にあるハクモクレンでした。現在は、葉がまだ残っているものの、花の芽はもう上を向いて固くむすんでいました。これから、葉が落ちて、暖かくなると、白い大きな花をさかせるのでしょう。

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ハクモクレンの今

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宮越邸ステンドグラス異聞 [ステンドグラス]

鑑賞記に書いたこと以外で、気になることが2,3点あったので、もう一度調べることにしました。まず、涼み座敷の間の窓に表現されていたアジサイ・モクレン・ハゼノキについてです。
この花木について、小川三知は、何の花木を表現しようとしていたのか、調べてみると、アジサイは、なんの疑問もなくアジサイですが、真ん中の花木を私がモクレンと断定したことについて、もう少し説明をします。

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田辺氏は、その著書になかで、「辛夷(コブシ)(別名ヤマアララギ)」と書いています。以前のブログの注で、“コブシは上向きや横向きに花を咲かせ、モクレンは上向のみ花を咲かせる”と書きました。樹木図鑑をみれば、コブシとモクレンの違いが書かれています。それには、コブシは花弁が6枚、開花と同時に葉が芽吹く。モクレンは花弁が9枚、開花時には葉はつかない。その特徴からステンドグラスをみれば、どちらかは明白なのですが、さらに決定的なのは、小川三知がこれを「木蓮」と宮越正治宛の手紙の中で書いていることです。

小川三知書簡(昭和3年2月6日)解読/田辺千代氏 中泊町博物館展示

 小生一昨年或る芝居好きの人の依頼で、其の洋館応接間窓に、錦絵の和藤内をステンドグラスにして用いたるを作り候らば、洋館とはいいながら、室内は寧に日本風八分に御座候。
是は最近の小生の苦心の作にて、御■■間写真を小包にて御届候らば、何卆御納迄候。恐れながら御感想を御聞かせ下され候。
右写真は、縦横ランマ共々役七尺従り六尺餘と覚え居り候。ランマの浄瑠璃文の和藤内虎に出逢ふ処だけ聴き書きして、朱に描付けたるを、勘亭流の先生に本式に書て貰へたのを焼付御座候。先日頂戴致し木蓮装飾室内写真二種、やがてアルス誌へ講座のさし画として送候。

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しかも、この書簡を解読したのは田辺千代氏本人です。その記憶がうすれたのか、書簡の文面をちゃんと理解していなかったのかはわかりませんが、決定的証拠です。この書簡のなかには、和藤内のステンドグラスについて書いている部分があります。これは、現在歌舞伎座の4階ロビーに展示されているものです。田辺氏によると、もと村井五郎氏の依頼によって小川三知が製作したものだそうです。第Ⅲ期歌舞伎座にも小川三知のステンドグラスがあったそうです。

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この中で、「アルス誌へ講座のさし画として送る」という文言がありますが、これは『アルス建築大講座』第5巻に小川三知の論文「モザイック及スティンドグラス」の中の3枚ある口絵のうち最初に掲載されている写真のことです。キャプションには、“青森縣内舘村・宮越正治氏邸の書斎の窓” とあります。

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次に、窓右側にある半分紅葉した木について、田辺氏は「欅」としていますが、どうもその葉の形状、葉の付き方を見ると、樹木図鑑で見るケヤキとは何か違うように見えたのです。

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調べてみると、どうも「ハゼノキ」らしいことがわかりました。それで、原物をみるべく、上野公園にあるケヤキ(名札がある)の落ち葉を拾ってきました。さらに、ハゼノキが旧古河庭園にあるというので、出かけてみました。もう葉はすべて落ちてしまっていましたが、そこの庭師さんの計らいで、落ち葉をゲットできました。庭師さんにハゼノキの葉について聞いてみると、ハゼノキの葉の付き方は”対生”という付き方で一本の枝の同じ場所から左右に葉を付ける形状で、ハゼノキの葉の付き方は”奇数羽状複葉”というんだそうです。ちなみに、ケヤキは単葉でハゼノキのような葉の付き方はしないということです。さらに細かくみると、ケヤキは、葉の周囲にギザギザがあるのが特徴です。ステンドグラスは、それほど詳細に表現できるものでもないことは理解できますが、葉の付き方、葉の形状は、ケヤキよりも、よりハゼノキに近いと見るべきだと思います。

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ハゼノキの葉(奇数羽状複葉)

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ケヤキの葉(単葉)

最後に浴室で表現されている、 “川柳にカワセミ” といわれるモチーフについてです。カワヤナギを樹木図鑑で調べてみると、カワヤナギは枝が垂れ下がらない柳のようです。枝が垂れ下がるのは一般的にみられる、“シダレヤナギ” です。両方とも、ヤナギ科ヤナギ属ですが、枝の生え方は全く違います。どうも、カワヤナギという言葉がどこかで、使われていたために、裏付けもなくそういう名付けをしたのでしょうか。

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 いちいち草木の名前にこだわることはない、という人もいますが、作者が何をモチーフに選んだのかは、大変重要なことです。もちろん、ステンドグラスという、微細な表現がむずかしい素材媒体では、多少の抽象化はあるかもしれません。しかし、周囲の状況で、作者の意図を忖度してしまうと本当の作者の思いが受け止められなくなってしまいます。もうすこし、エビデンスに基づいた解説が必要ではないでしょうか。


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